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    はじめまして、当サイト管理人の「和久一郎」と申します。 このサイトではネットビジネスに関する情報発信をしているわけですが、受け手にとって情報というものは 「誰が言っているか」 という部分も多いに

    プロフィール

和久一郎のストーリー

プロフィール
はじめまして、当サイト管理人の「和久一郎」と申します。

このサイトではネットビジネスに関する情報発信をしているわけですが、受け手にとって情報というものは

「誰が言っているか」

という部分も多いに影響すると思いますので、この記事では「どんな奴が」このサイトで情報を発信しているのかという所を、自己紹介という形でお伝えしてみようかと思います。

スロットにハマる典型的ダメ学生

良く見るネットビジネスの情報発信者にありがちな

「僕の実家は貧乏で~」

みたいな事は全くなくて、私の実家は大人になった今思えば結構裕福な方だったと思います。

父親は大手電力会社の役職でしたし、母親は元看護士でしたが私が物心付いた時は既に専業主婦でした。

父親の一馬力のみで私と姉をどちらも大学まで出してくれましたので、そういう意味で見てもやはりどちらかと言えば裕福層だったと思います。

さらに自分で言うのもなんですが、幼少期から教育にも力を入れてもらっていたので、学力の方もそれなりに常に上位にいたと思います。

ちなみに3つ上の姉も大学で獣医学部に進学したのでそれなりに偏差値は高いと思いますが、何故か大学3年の時に唐突に

「女優になる」

とか言い出して、獣医学部を中退して上京して劇団に入って現在も女優業にいそしんでます(笑)

私の方も特に将来の目標があったわけではありませんでしたが、とりあえず大学の法学部に入学。

が、親元を離れ

「打つ・飲む・吸う」

という量産型の男子大学生になり、堕落していきました。

なんせ将来の目標なんてものがあって法学部に入ったわけではないので、落ちるべくして落ちていったという感じでしょうか。

中でも「スロットのハイエナ」というものにのめり込んで行き、学校そっちのけでパチンコ屋に通う始末。

スロットというものは単純に「金が稼げる」というのはもちろんですが、ブログにハイエナの実践記と、「パチ管」というツールに自分のハイエナの収支結果を記録していたのですが、その数字を見返すという行為が楽しくてしょうがなかったのです。

私は子供の頃から割りと数字を見るのが好きで、パワプロという野球ゲームがあるのですが、1年間のシーズンを全てCPUにオートでさせて、そのシーズンの選手の数字(記録)を見るという遊びにハマっていた時期もあります。

そんな数字&記録好きの私ですから、ハイエナにのめり込むのも我ながら納得です。

そんなパチンコ屋通いの私でしたが、当然大学の単位など足りるはずもなく、結局姉と同じく私も大学3年の頃に大学を退学。

親には

「最近ちょっと接客業をやってみようかなと思って」

とか何とか言いつつ、結局趣味の延長線上で大学の先輩がやってたバイト先であるパチンコ屋に就職(一応接客業。笑)

全員アホだったパチ屋の店員

パチンコ屋の正社員として入職したは良いものの、はっきり言って職場環境はあまり好きではありませんでした。

何と言うか21歳そこらの私から見ても、私がいたパチンコ屋で働いていた人間の民度の低さがキツかったからです。

事故って免停中なのに車で出勤してる奴もいましたし、準社員(フリーター)のくせにスカした意識高い奴もいましたし、いい年こいてバイトなのに態度デカイおっさんもいましたし。

基本的にバイトの奴は全員私より年上でしたけど、はっきり言って全員バカと思ってましたし、全員下に見てました。

まあ私は一番年下でしたから、もちろん態度には出さずに大人しい社員を装ってましたけどね。

ただ、社員になって一年近く経つとある日の勤務時間中に、小太りの年上フリーター(推定45歳)に呼ばれて世間話に付き合ってました。

その最中にお客さんから呼び出しランプが付いたんで対応して、戻ると年上フリーターから

「お前さ、俺が話してる時になんで客のとこ行くん?失礼やろが?」

と、何故か唐突に意味不明なキレられ方をするという。

いや、あのー、立場上一応私が上司なんですが、、、笑

ただまあ一番年下ということと、確率論が好きな店長に何故か気に入られていたという事もあっての妬みからか、こういう事はかなり多かったです。

そんな経緯もあって

「アホくさ。辞めよう。」

という決断を下したのは早かったです。

正直言って高卒扱いで給与が安かったのもありますが、プライベートでのハイエナ収支とさほど変わらない数字というのもあって、別にいつ辞めても良いと思っていました。

スロプー時代に突入

晴れてプー太郎になった私ですが、やる事と言えばパチ屋の徘徊。

なんならスマホから

「ここ(巡回店舗のパチ屋)を勤務地に登録しますか?」

などと通知がくる始末(笑)

そんな生活も3年するとやや飽きてきます。

実家は金持ち、仕事を辞めても月収30万円。

そんな私を羨む人もいるかもしれませんが、意外と当の本人からすると焦りみたいなものは多少ありました。

スロニートとして金は稼いでいたものの、世間的に見ればただの「無職」が故に、やはり周りの目は気になってはいました。

一応スロを専業にしていた当時は月に30万円ほどはコンスタントに手にしてましたので、同世代で働き始めた人達に比べれば結構裕福な暮らしはしていました。

が、そうした金銭的な視点だけみてきた弊害として、人生における「積み重ね」というものを軽視してきた私は、年数を重ねる毎に給料はもちろん、昇進など社会的な地位も着実に上げていく同世代にモヤモヤした「焦り」みたいな感情も芽生えてきました。

その感情が決定打になったきっかけとなる「ある人物」がいました。

「その人物」というのは、私の小学校からの同級生なのですが、彼は学生の頃からのライフワークとして、フリースタイルフットボールのパフォーマンスを路上でやっていました。

専門学校で保育士の資格を取得した彼は、保育園でフリーターをしつつ、継続してフリースタイルフットボールに精を出していました。(と、思っていたのは私だけだったのですが、、、)

そんな彼を見て、

「まあ正社員として働いてないのは俺だけじゃないしな」

という安心感みたいなものを勝手に感じていたんですが、しばらく会わないうちに、なんと彼は障害を持つ児童のお世話をするデイサービス施設を立ち上げており、「正社員」というステージをすっ飛ばし、いわゆる経営者の側に行っていたのです。

「自分と同じ人生レベルの奴がいる」

と、いつも私の心を平穏にさせてくれていた人物が、突如私の手の届かないレベルの場所へ行ってしまった事はかなり衝撃的かつ、私の心中は言い知れぬ黒いモヤモヤみたいなものが台風の海面みたいにグワングワンと激しく波打つのでした。

何が悔しいって自分で言うのもなんですが、頭の良さで言えば彼よりも私の方が県内でも上位クラスの進学校に行っており、稼いだ金額でも恐らく彼がバイトで貰っていた給料の2倍はあったはずです。

その彼が私を差し置いて、圧倒的な「金銭面」、「社会的地位」すらも得ている現実を受け入れるにはかなり頭のカロリーみたいなものを消費した気がします。

それと同時に、そうした「クソの役にも立たないプライド」だけはいっちょ前に持ってて、肝心の「面倒な事からは逃げ続けてきた自分の人生」に猛烈に腹が立ってきたのです。

なんと言うか、単純に自分の人生「薄っぺらいな」と。

振り返ってみると「人に誇れるもの」だったり、「自己肯定感」というものがほとんど無い事に気付いたんですよね。

この件がある種、私の人生における「キーポイント」となるのですが、そこから

「今、俺が持ってるもんってなんだ?」

っていうと「会社以外で稼いでいる」という要素しか思い浮かびませんでした。

25歳、スロット専業生活を辞めました

25歳、スロット専業生活を引退。  

大学を中退し、20代の頃からギャンブル一本で身を立ててきた私は、一般社会に出た経験さえもわずか1年しか無い世間知らずの人間でした。  

そんな私が次に飛び込んだ世界。  

それが「ネットビジネス」の世界だったのです。  

一応スロプロ時代、もちろん月単位での収支のブレはありますが、年収から計算すると月に30万円以上はコンスタンスに稼いでいた私。  

当然ネットビジネスの世界でも私はそれくらいの金額を目標に参入を決めたのでした。  

逆に一からそれくらいの収入を手に出来そうなビジネスは、それくらいしか思い浮かばなかったのです。  

ただその目標を達成できるまではそう時間はかかりませんでした。  

参入からわずか初月ほどで、ひとまずの目標であった月収30万円という数字をあっさりと達成出来てしまったのです。

もちろんこれにはからくりがあるのですが、それは別の機会に。

凄く嫌味っぽく聞こえてしまうかもしれませんが、3か月後には100万円を達成していました。

わずか3か月で100万円を達成。そして・・・

そしてそれから約3年。  

私の収入は直に手にしてきた報酬だけでも、総額にして1億円近い金額に到達するまでになっていったのでした。

インフォトップ実績2アカウント合計(18,222,192円)


インフォカート実績(36,143,145円)


アドモール実績(3か月連続100万円越え)


この他にも細かな売り上げが上がっている今。  

現在の私の月収は今やスロプロ時代の5~6倍近い金額になっているのです。  

「考えられない!」

あなたは率直にそう思われていると思います。  

ただ私がこんな実績を上げる事が出来ている事実には、これだけはハッキリとしているという明確な「理由」があるのです。

私が3年で1億円以上ものお金を手に出来た理由

何故ネットビジネスに対しては何の知識もスキルも持っていなかったスロニート上がりのど素人が、3年で1億円以上ものお金を稼ぐ事が出来たのか。  

私はその全ての軌跡をこのブログで公開していく事にしました。  

そのノウハウを公開していく事がこのネットビジネス業界における、私自身の次なるステージだと考えたからです。  

「それを人に教えていったら自分が稼げなくなるのでは?」  

そう思われるかもしれませんが、そんな心配は全くありません。  

少なくとも私がやってきた事には関しては、そんな心配は無いようなものばかりだからです。  

それも全て私が公開している事実の全てをご確認してもらえれば、間違いなくあなたも納得して頂けるはずです。  

ネットビジネスで成功を掴み取る為の真実。  

その術を知りたいならまずは当ブログの気になる記事から読んでみてください。

終わりに

収益が増加している割に、私の労働時間はスロニートとしてパチ屋を巡回していた頃よりも極めて短くなっているんです。

スロニートの頃は、まず台を打つという直接的な収益発生となる行動以外にも、台の前日チェックや各店舗の移動など、どう少なく見ても毎日10時間は稼ぐために時間を割いていたと思います。

それに比べて、今はパソコンに向かっている時間以外は仕事の事を考える必要も無く、その時間もせいぜい一日2~3時間程度なのです。

更に言えば長時間の台打ち姿勢で重度の「肩こり・首こり」からの開放。
(ある意味それが一番ありがたいです。苦笑)

今やいざスロニートを辞めた際、こうしてネットで稼ぐという道を選択した事に安堵するばかりといった感じです。

休みたい時はいつでも休めて、働きける時にだけ働けばいいのですから、こんなおいしい仕事はそうは無いと思います。

今や高校、大学を出た私の友人達の多くは毎日やりたくもない仕事をして週に一度の休日だけを楽しみに生きているような生活を送っています。  

そんな友人達を見ると彼等には悪いのですが、  

「こういう生き方だけはしたくないな」

と強く思ってしまう私がいます。  

ただ仮に彼等と同じ収入しか稼げないとしても、私はおそらく今と同じような生き方を選ぶと思います。  

何故ならこの仕事には努力次第でいくらでも収入を増やせる、その可能性が無限大にあるからです。  

少なくとも時給や日給、決められた固定給などで一生仕事をし続ける事など私には到底考えられません。  

やればやっただけの見返りがある。  

そんな環境で仕事をしていかなければ、本気でその仕事に打ち込む事など出来ないと思うからです。  

一度きりの人生です。  

どうせなら本気で取り組める仕事、その見返りがそのまま自分に返ってくる仕事に、あなたの貴重な時間を費やしていきませんか?  

あなたがただ純粋に今以上のお金を稼ぎ、今以上に豊かな生活と自由を手にしたいというのであれば、まずは私が稼いできた道のりとその全てを確認してみてください。  

少なからずあなたの人生に新たな道筋を照らす事が出来ると思います。  

それでは簡単な自己紹介になりましたが、今後ともよろしくお願いします。

和久一郎。
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